徒然ブログ~みゆきさんを想いながら~

中島みゆきさんを慕い半世紀。みゆきさんの歌詞から感じたことを中心に暇人故に思うことをつづるブログです。

結婚(短篇集 収録)

「同じ場合もあると 結婚と決闘 結婚と決闘」


この歌は、このフレーズにすべての思いが詰め込まれている。


自らの人生に結婚というイベントを導入していないみゆきさん。


そういう自分もそうだが、そこに結婚と決闘が同じ場合もあるという認識はない。


みゆきさんにはあるのだろうか?この歌を聴いて考えてみた。


結婚が決闘と同じ場合があるとすれば、それは究極に淋しいことになる。


みゆきさんはそれを避けるために結婚をしないのだろうか?


ひとりでいることは淋しいことだけど、結婚した相手を敵視するような


ことになるとするなら、確かに耐えがたいことのような気がする。

今日以来(DRAMA! 収録)

「失敗ばかりの人生でした やることなすこと へまばかり」


「後悔ばかりの人生でした 迷惑ばかりを散らかしました」


この歌は、このフレーズが強く残ります。


失敗ばかり・へまばかりって過ぎ去ってから理解する人生。


後悔ばかりって終わってから気づかされた人生。


迷惑ばかりを散らかした人生だったんだろうなって・・・。


人生も折り返し点を大きく過ぎてから思い返せば、


自分がわからなかった。何が駄目だったのかもわからなかった。


だからどうすればいいかわからない人生だった。


でも、後悔はしていない。自分はその程度の人間だったんだと思う。


けれどそれは諦めじゃない。これから何度も転生して、魂を成長させていく。


来生でだめなら、その次、その次がだめなら、その次の次・・・。

走(荒野より 収録)

「風向きは変わり続けている 掌は返り続けている」
 
「ひと時の追い風も ひと時の逆風も 旗色に従っている」


「約束は変わり続けている 審判は変わり続けている」


「昔からのルールも 出来たてのルールも 利害に従っている」


「君も変わってしまうのだろうか 君も忘れてしまうのだろうか」


「迎える声は風の中  ゴールは吹雪の中 どこまでもどこまでも荒野は続いている」


「辿り着けたら誰が居るだろう 力尽きたら誰が知るだろう」


「報われたなら その時泣こう それまでは笑ってゆこう」


「Yes, My Road, Yes, My Road, 愛だけで走ってゆく」


「Yes, My Road, Yes, My Road, 愛だけで走ってゆく」


自分も世間も正しいといっていたことが、いつもまにか正しい事ではなくなった。


応援されることも批判されることも永遠ではない。


約束は必要なくなり、ルールが変わることはいつものことだ。


どうせ、誰かの思惑でルールなんて違った解釈をされる。


変ってしまうことも忘れられることも普通にあることだ。


目指したゴールにたどり着いても何も手にできないこともある。


誰にも知られずに終りを迎えることもあるだろう。


もしも報われたなら涙を流しても許してもらえるだろう。


許してもらえるまでは無理にでも笑っていよう。


それは自分で決めた道なのだから、その想いだけで走ってゆくしかない。


<けれど報われることがなくても後悔はしないと決めたのだから>


こんな風に解釈しました。そして< >の部分は歌詞にはないけれど、


こんな気持ちもあるのかと思った部分です。