徒然ブログ~みゆきさんを想いながら~

中島みゆきさんを慕い半世紀。みゆきさんの歌詞から感じたことを中心に暇人故に思うことをつづるブログです。

掌(DRAMA! 収録)

この歌を聞いて石川啄木を思い出しました。


「何んでも出来ると未来を誇っていたのは 小さな掌の少年の頃だけだった」


なんか身に染みる歌です。


今が不幸でなくても、このように感じている人は多いと思います。


それでもそれぞれに幸せをみつけて生きているものと思います。


そうした人生はそんなに悪くない人生だと思います。


ただ、最近は未来を誇ることのできない子どもが増えているんじゃないかって


感じることがよくあります。最近といってもそれは昭和の時代にもあったと


思うのですが、平成になってから顕著になってきたように思います。


統計があるわけでもなんでもありません。ただそう感じるだけです。

自画像(CONTRALTO 収録)

自分の姿をカンバスに描くように、自分の姿を歌っている。


そんな歌だと思います。


「絵具足らずの自画像からやりきれない昨日がほつれる」


「やんぬるかな やんぬるかな」


”やんぬるかな”は漢文”已矣哉”、”×已んぬる×哉”からで”矢折れ矢尽きた”ことから


”今さらどうしようもない”という意味のようです。


全体の歌詞から”やんぬるかな”で締めるのはわかるのですが、その直前の


”絵具足らずの自画像からやりきれない昨日がほつれる”の表現に


みゆきさんが込めた思いが理解できていません。


”絵具足らず”=>”言葉足らず”、不器用な自分のこと?だから勘違いされて


”昨日がほつれる”=>”嫌われる”。っていうことかなって思いましたが、


しっくりきていません。


それはさておき、自分が理解している自分と他人が思う自分って違いますよね。


自分のことは自分が一番わかっているとかも言いますが、


実は自分が一番わかっていなくて、他人がいう自分が本当の自分なのかもって


最近思うことが多くなりました。もう少し早く、こう思うことができたらって


考えることもありますが、そうしたら自分の存在がなくなっていたかも。


幾つになっても悟ことができない永遠の凡人です。

夜曲(臨月 収録)

「街に流れる歌を聴いたら どこかで少しだけ私を思い出して 思い出して」


男と別れた歌手、でもタイトルは”夜曲”だから夜の店の歌手かなぁ・・・


という程度は誰でも思うでしょうね。


別れた相手に向けての歌なら少しの間だけでも幸せな時期があった。


ということになります。けれどこの歌はそういう時期のない相手。


片想いの相手に向けての歌のような気がします。


だから”少しだけ思い出して”と歌っている様な気がします。


好きになった相手に言い出すことができず、想いを募らせることって・・・


自分の場合、そういうことばかりだったような気がします。


本当に好きになった相手には”高嶺の花”と最初からあきらめてしまう。


そして、自分の程度にあった相手で妥協する。だから長続きしない。


自分の人生ってそんな感じだったなぁなんて思います。


本当に好きになった相手に挑んでも結果は同じだったと思うので


後悔しているってわけじゃない。自分程度の人間は身の程を知って生きる方がいいって


思っていたけど、まぁ詰まるところ傷つきたくないだけだったんだなぁって思います。


そうした人生だったのですが、結局傷ついてばかりだったなぁとも思います。


しかし、今となっては全部いい思い出にできるくらい強くはなれました。