徒然ブログ~みゆきさんを想いながら~

中島みゆきさんを慕い半世紀。みゆきさんの歌詞から感じたことを中心に暇人故に思うことをつづるブログです。

中島みゆき・・・というシンガーへの想い

1年間に渡り、みゆきさんの歌詞に対する自分なりの想いを


綴ってきました。最初のころは毎日、途中から1週間毎に。


みゆきさんの歌は、毎日投稿しても1年以上投稿できる。


しかし、自分にはすべての歌詞に対して想いを綴ることはできない。


みゆきさんが何を想い、歌詞を書き・曲を書いているかなんて


自分にはとうてい理解できているなんて言えない。


一部の歌は自分の胸に突き刺さるけれど、多くはスルーしてしまう。


それは決して興味がないっていうわけではなく、中島みゆきという


シンガーを理解するには自分の魂は未熟すぎるのだろうと思っている。


ここまで、自分なりの想いを綴ってきた歌の中には、無理やりに


想いを引き出した・・・いやこじつけた歌もある。


そろそろ限界になってきました。


それでも、これからも想いを馳せられない歌を聴き続けていきます。


そうすることで、自分の魂が成長できると思うから、今生でなくても


来生にみゆきさんの想いに近づけるかもしれないからと思うから。


転生した世界でもみゆきさんも転生していて欲しい。そう願いながら。


みゆきさんの歌に定期的に想いを馳せるのは一旦終了します。


でも、過去の歌も、これから出る歌も、何かを感じる瞬間があるかもしれない。


そうした時に、つまり不定期に更新しようと思います。


我が魂は、今生はもちろん、来生もずっとみゆきさんと共にありたい。


そう願っています。この願いだけは叶うことを祈りながら・・・。

我が祖国は風の彼方に(転生-TEN SEI- 収録)

”我が祖国は風の彼方 我が祖国は時の彼方 誰に尋ねん 風の住処を”


”我が祖国は水の彼方 寄方のない波の彼方 誰に尋ねん 国の在り処を”


”国の名は幾百 名付け主の名は幾百 限りもなく”


”我が祖国は水の彼方 寄方のない波の彼方 誰に尋ねん 国の在り処を”


”いつの日にか帰り着かん 遥かに いつの日にか帰り着かん 遥かに”


”我が祖国は砂の彼方 我が祖国は空の彼方 誰に尋ねん 空の道標(しるべ)を”


”血の色は幾百 旗印の色は幾百 限りもなく”


”我が祖国は風の彼方 寄方のない風の彼方 誰に尋ねん 国の在り処を”


”遥か辿る道は消えても 遥か名乗る窓は消えても 遥か夢の中”


”誰も消せるはずのない 空と風と波が指し示す天空の国”


”いつの日にか帰り着かん 遥かに いつの日にか帰り着かん 遥かに”


自分の居場所を唄うものだと理解している。では居場所とはどこだろう。


生まれたところ、今は事情があって帰れない故郷という見方もできる。


自分を待っている人がいるところっていう見方もできる。


そんな物理的な場所ではなく、いつか自分が生き着くところという見方もできる。


あなたはどこに帰り着きたいだろうか、生まれたところ、待っていてくれる人の


ところ、それとも生き着くところ・・・。

小さき負傷者たちの為に(真夜中の動物園 収録)

「言葉持たない命よりも 言葉しかない命共が」


「そんなに偉いか 確かに偉いか 本当に偉いか 遥かに偉いか」


「卑怯と闘う同士でありたい 小さき負傷者たちの為に」


食物連鎖の頂点に立つ人間が偉いわけではないって


言っているのはわかるのですが、”卑怯と闘う”って


みゆきさんは何をイメージしているのだろうとずっと考えています。


自分的には卑怯より傲慢と闘うっていう表現の方がって思っている。


でも”言葉持たない命”は幼い子どもたちのことも入っているから


”卑怯”って言っているのかもしれない。


卑怯でも傲慢でも同じなのかなとも思う。